便所の落書き

頭の整理に色々書きなぐる場所

趣味との付き合い方

SNSやってるとよく見るのが

 

「にわか○○好き」

 

とそれに対するヘイトスピーチなんですけど

大抵の場合「○○が好きです!」という場合の○○だけが唯一の好きなものの人たちに比べたら、「○○が好きです!」と言った瞬間にどうしたってにわかになるので、深みはいちいち気にしなくたっていいんです。

深みに到達すると「どうせ言っても理解されない」と「でもそこら辺の人間と同じ括りにはなりたくない」という現実に直面して、ざっくばらんに「○○が好きです!」と言わず、どの部分が好きなのかまで勝手に言うようになるし、場合によっては好きとすら表立って言うことがなくなります。理由は簡単で、言わなくても互いに理解し合える人間とだけ付き合うようになるからです。

一方のヘイトスピーチはというと、SNSでにわかに年長風吹かせてる奴の中に深い奴なんていないので放ったらかしにするのが無難

…なんですけど、ヘイトスピーチをする人が歳を食ってる時は、それしかもう残ってないからしがみついてるという、救いようのないケースもあります。老害って奴ですね。老害は反抗するとやかましいことを延々と言い続けて来て不毛なので、心の中で早く死んでくれと祈りながら頷いておきましょう。

 

 

話を戻すと、趣味っていうのは浅い深いっていうのを気にしてやるもんでもないんです。そりゃあ出来るだけ深い方が得られるものが多いので、深く追究しようとする姿勢は重要ですが、あれもこれも一般レベルを超えて突き詰められるのは暇人かルイ13世みたいな上流階級だけです。つまるところ

「どこまでやれば納得できるか」

の一言に尽きます。納得したらそこで終わりというものでもないのですが。

 

もう一つクギを刺すと、趣味とそれに関する出来事は寛容的なスタンスでいた方が何かと良いです。お前は浅いなんて言ってくる老害や、自分のことを深い人間だと思い込んでる浅瀬野郎のヘイトスピーチは自尊心や承認欲求を慰めたいだけのものですし、万が一相手が冗談で言って来た時に本気で怒ってしまうと、メンタルが弱い奴のレッテルを貼られてしまいます。逆に、オススメを紹介されたら、知らなかった場合は黙ってオススメを見てみる、聴いてみるをした方が絶対にいいです。特定の領域の深みに到達している人間は、こういう人のオススメを素直に聞けるかどうかで人を評価しますので、見過ごしてしまうとオイシイ話を聞けずに終わってしまいます。

 

 

 

この記事も便所の落書きとあるように、たわいもない人間のボヤキですけれども、やっぱり、そういうことでも聞いてくれてる人の方が、気持ちとしては、良い人だなぁ、と思いますよね。寛容さっていうのを、突き詰めると、なるほどなぁ、っていう部分がありました。やっぱり、そういうことなんだと、思います。